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Dog photography and Essay

Dog photography and Essay

河南省--嵩山少林寺2


「少林寺の四天王像」

「中国写真ライフ」では、
河南省の嵩山少林寺の写真を公開しています。

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写真は、腕に蛇を巻きつけている広目天で西方を守っている。

ノートパソコンがやっと自分の手元へ戻って来た。
新しいノートパソコンを買ってブログを更新しても、
あまり意味をなさなかった。なぜならば、壊れたパソコンの、
HDDの中には写真画像データが保存されており、今回は、
そのデータの保存をしていなかったので、新たなパソコンでは、
データが入っていない、ゆえに意味をなさなかった。

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写真は、禅宗の寺には必ず安置してある四天王像である。
日本の東大寺などを守る四天王の表情と、中国の四天王とは、
文化の違いからなのか、四天王像の表情は違った。
日本では荘厳さが感じられ、中国では微笑ましさが感じられる。
だが、嵩山少林寺の四天王は、また感じが違っていた。


上の写真は琵琶を抱えている持国天で東方を守るとされている。
下の画像は宝剣を持った増長天ではと思うが定かではない。

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「天下第一祖庭」

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四天王では、広目天は蛇を腕に巻いており、
持国天は琵琶を持ち、増長天は宝剣を持っている。

そして、多聞天は傘を持っているのだが、少林寺の、
四天王の場合、それがハッキリと断定出来なかった。

上の画像は、宝塔を持っているので、宝刀と読み替え、
宝刀=宝剣と理解するならば、増長天なのかも知れない。

だが、そんなダジャレも中国語のピンイン読みでは、
全くダジャレとしては通用しないだろう。

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ゆえに、前のページの最後に書いたフレーズは、
増長天ではと思うが定かではない。と書いたのである。

中国河南省の嵩山少林寺は、禅宗初祖達磨大師が、
坐禅修行した地として知られている。

その歴史も古く西暦495年、孝文帝がインドからの、
渡来僧のために建てた寺であり、その後1515年の間、
少林寺は苦難の歴史を歩みながらも、天下第一山の、
禅の祖庭として名を確立した。

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「少林寺は人類遺産」

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少林寺は、河南省登封県の西北にある少室山中にあり、
たくさんの峰が聳え立ち、渓水が流れ、木が茂り、
優雅な佇まいは、心を一瞬にして和ませてくれる。

中国仏教界ではインドよりの達摩は中国の禅宗の祖され、
達摩が修行した少林寺は禅宗の祖庭と讃えられている。

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少室山林の中にあるため、少林寺と称されるのである。
少林寺の歴史は古く、北魏に作られ、インドの僧は、
少林寺に来て禅宗を伝授したが、その菩提は少林寺にて、
手厚く弔われており、それは塔林を見ても歴然とする。

上の写真は、江沢民直筆による「少林寺人類遺産」の石碑。
その石碑の前で、少林寺の僧侶と外国人との語らいを見た。
近寄って聞いてみると、会話は英語ではなく中国語だった。

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「釈迦から数えて28代目」

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世間では少林寺と言えば、少林拳法と答える人も多い。
実際には、中国各地の禅寺と全く同じ修行をしている。

ただ、一般の禅寺と違う事柄は、運動不足になりがちな、
僧侶の体の事を考え、運動不足にならないようにと、
拳法を取り入れ、それを修行の一環とするようになった。

少林寺の寺院は、遷都した洛陽の近くにあり、次第に拡大し、
僧侶も日を追うごとに増え出し、多い時期には3000人を、
超えるまでになり、当時少林寺の評判は各地に轟いていた。

後に禅宗の祖の庭と称されるようになり、武術を修得したく、
少林寺に殺到した若者が多くなり、寺の外に多くの少林武術の、
学校が立ち並ぶ繁栄ぶりは600年ほど後の事となる。

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少林寺は紀元495年に孝文帝によって禅宗の寺として建てられ、
35年後に孝文帝は釈迦から数えて28代目とされる達磨大師と、
出会う事となり少林寺の祖となり9年間にも及び洛陽郊外の、
嵩山少林寺にて面壁、いわゆる座禅を行い、その姿に、
自分の腕を切り取り入門を願い出て、許された第二祖慧可の、
力にもより、少林寺は多くの人々に知られる事となる。

禅宗の起源はインドで、禅宗28祖の達磨大師は527年に、
インドから船で中国に渡り、苦難を重ねてたどり着く。
中国南方にたどり着いた達磨大師は宋の武帝にあう。

仏教を厚く信仰していた武帝は、天竺から来た高僧を、
喜んで迎え、宋の武帝は達磨に、これ程までに仏教に、
供養しているが、未だ苦悩が続くと質問。それに対し達磨は、
人界にて一喜一憂しているだけでは悩みなど解決しないと説き、
中国宋の武帝はいい気分ではなかった。つづく

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「心とは実に不可思議」

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少林寺第二祖慧可は達磨大師の信念を受け継ぎ、
広く信徒を集め、禅の理を伝授し、禅宗を切り開いた。

禅宗の修行する禅法は、壁に直面して姿勢を正して、
坐った状態で精神統一を行う禅の基本的な修行法である。

姿勢を整え、呼吸、心を整え、意識は1m先を見る感じ。
顎を引き、口を軽く結び、肩の力を抜き、背筋を伸ばす。
腰は引き気味にし、腹を少し前に突き出す。

呼吸は自然にまかせ、鼻からゆっくり吐き吸う。
テレビドラマなどで見たり、芸能人の大麻所持などで、
座禅の修行を行いに禅寺で、座禅を組む姿を見た事がある。

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また新入社員の研修の一環として、座禅を体験コースも、
昔からあるようだし、テレビのドキュメントでも見た事がある。
だが、その研修も一時である。芸能人の懺悔の座禅も1年ほど、

心とは実に不可思議なもの、求めても求めても宙に浮いた感じ。
自分自身で決意をして、その決心は揺らぎないものと確信しても、
縁に触れ、いとも簡単にその決意が崩れ去ってしまう。

禅の僧侶もまだ修行中なので、禅の真意は観念としては、
分かるが会得するまでには、一体いつになる事やらと話す。

心とは、決まった形がないという事実を、自らの観念ではなく、
体験として知ることが、安心を得ることであり、成仏すると説くが、
実際には、そのような簡単には知り得るものではないと思う。

達磨は9年間の座禅で手足が腐り落ちたと伝えられている。

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「枚数は少なく軽い方が良い」

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いつも旅に出掛ける2週間ほど前から目的地の情報を、
ネットで検索しては、WORDに張り付け、自分の必要な個所を、
プリントアウトして、当日カメラバッグに入れ持ち歩いている。

だが、現地に行けば、何かと忙しく、細かく見ている時間はない。
移動の途中で、プリントアウトした情報を見てみると、
殆どが過ぎており、あまり詳細にデータアップしたため、
プリントアウトの枚数は多いものの、観るのは一瞬と言った感じ。

ガイドブックは持って出た事もあるが、結構かさ張り、
やはり枚数を少なく、軽くした方が良いと思い自分で作る。

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少林寺の常住院は山に従って建てられ、建物は全部で7列。
主な建物は住持と執事の僧達が、仏事の活動と日常生活をする。

山門、天王殿、大雄宝殿、蔵経閣、方丈室、達摩亭と千仏殿、
両側に六祖殿、緊那羅殿、東西禅堂、地蔵殿、白衣殿などが、
3万平方メートル以上の敷地に建てられている。

少林寺の西北に歩く事2キロほどで、五乳峰の下に着く。
そこには面壁庵と呼ばれる庵が建てられている。
達摩大師が面壁したことを記念する為に建てられた。
小さめの建造群は初祖庵で河南省に現存する最古の木造建築。

写真は、背の上に石碑を乗せた亀と獅子の像で南方と違う。

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「自由な旅であるならば」

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大雄宝殿は、最大規模の建物で、仏事活動の中心処である。
禅寺を訪れ、大雄宝殿の前に出ると大きさに圧倒される。

大雄宝殿の撮影のためには、24mm広角レンズが必要になる。
旅に出掛ける時、昔は自分の持てるレンズを全てバッグに入れ、
重さ12キロ以上を、辛い思いで担いで行き、その場面に応じ、
レンズの交換をしていたが、実際にはレンズ交換は出来ない。

レンズ交換には、15秒ほどの時間なのだがレンズ交換をする前に、
まずは被写体にファインダーを通し確認し、レンズ交換を決定。

バッグよりレンズを取り出し、カメラ本体のレンズを取り外し、
レンズをカメラに取り付ける作業をし、やっと撮影に入る。

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全くの自由な旅であるならば自分の撮影したい被写体の前で、
時間を費やす事も可能ではあるが、団体ツアーの場合には、
自分勝手に行動をするような時間はないと言うのが現状である。

最近は殆ど標準ズームと望遠ズームのみで旅行している。

私の旅行は現地ツアーが60%で、AIRチケットとホテルのみ、
旅行社に任せ、現地自由に動き回るのが20%ほどであり、
残り20%は、全て旅行社任せの旅をしていたが一長一短がある。

現地ツアーの場合は、ほとんどが中国人やシンガポールまた、
マレーシアなどの中国語が話せる人達ばかりである。

バスの中では、のんびり出来ないほど、皆さんが話しかけてくる。
観光ポイントへ付けば、集合時間のみ打ち合わせて私一人で、
行動する事にしているが、そう簡単にはいかない。つづく

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「治安の面でまだ不安」

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中国で旅行では、はじめは全て旅行社任せの旅行だった。
だが、外国人が中国人のツアーに参加する事は禁じられており、
中国旅行社と何度ものやり取りをしたが了承されなかった。

1994年当時の中国では、治安の面でまだ不安が残っていた。
ツアーの旅行者でさえ、事件に巻き込まれ行方不明になっていた。

何より、旅行社の不安は、言葉の問題であり、万が一迷子になり、
中国人に訪ねる言葉は知っていたとしても、聞き取りの力がなく、
相手の話す言葉が理解できなく、他の旅行者に迷惑をかける事、
この事が焦点になり、2回の面接の後に、何とか合格になった。

旅行社の話では、中国人が外国人の旅行申し込みに来て、
中国人と共にツアーに参加したが、集合時間になっても、
その外国人のみ戻ってこず、2時間ほど探し回って確保したが、
2箇所の観光スポットには行けれなかったという話も聞いた。

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今では直接旅行社とのやり取りで、決める事が出来るし、中々、
旅行に出れない場合は、旅行社からご機嫌伺いのメールまで来た。

15年前の旅行は全くの個人旅行であり、航空チケットも、
カウンターで購入するという実に無駄なお金を使っていた。
おまけにチケット売り切れで、旅行地を変更する事もあった。

目的地に着いてからの交通機関も行き当たりばったりで、
宿泊先などは決めていないので、タクシーで捜したりもした。

この時のカメラはニコンの銀塩カメラ(フィルム)を使用していた。
おまけに、三脚を持ち、かなりの重装備であり、行動も制限された。

その当時の写真はアルバムでしか見れないが、一部ネットで、
更新したページがあるので見てみるとよいがmidiがうるさい。
時間のある人はこちらから

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「レンズ沼と呼ばれる病」

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撮影目的で、海外旅行に行く人で悩む事柄は撮影機材である。
出来るだけ軽くしたい思いと、あれもこれも持って行きたいと、
質問サイトへ質問したりするが、質問する時には決めている。

何とか背中を押してもらえないだろうかとか、何とか思いに、
賛同してもらえないだろうかなどと投稿する人も多い。

一眼レフレンズも、初めは2つで30万のレンズだから一生大切に、
使って行こうと思うのだが、関係のネットサイトや評判を見ると、
そのレンズが欲しくなり、何度も見るにつけ、考え方が大きく変化し、
どうやれば20万のレンズを手に入れる事が出来るのかと変わる。

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そして自分の手元に、欲しかったレンズが届きカメラに取り付け、
撮影をしてみるが、皆が書いているような、感動的な写真ではなく、
既に持っているレンズの方が、描写力が良かったりして落ち込む。

何とか感動的な写真が撮れないものか、解像度の良いレンズは、
どんなレンズなのかと、また色々なサイトを見ていたりする。
これがいわゆるレンズ沼と呼ばれる精神的な病に陥ってしまう。

撮影に工夫を凝らして研究を重ねると言うより、レンズを買う事で、
ストレス解消をしているような感じになってしまう。

誰にもある事であるが、度を越してしまうのもどうだろうかと、
自分自身に問いかけたりするが、自分で分かっているだけに、
その渦中に入ると、どうしようもなくなる。つづく

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「仕事の疲れも相まって」

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限られたレンズしか持っていなければ、そのレンズの範囲内で、
最大限の表現を出すために、色々と苦心をしたような・・。

だが、次から次へとレンズを求めて購入し、いざ旅行となると、
結局、旅行に行く段階で、必要のないレンズまで鞄に詰め込み、
観光目的地で重たい鞄を背負って、歩く姿は滑稽である。

その上に、三脚まで肩に提げ観光スポットを歩くが、撮影だけで、
疲れ果て、三脚をセットして撮影する時間もなく集合場所へ。

中国人からは、あまり使わないものは持って行かない方が・・と、
コンパクトデジカメを片手に微笑む姿に、疲れが押し寄せる。

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撮影を楽しむという事より、撮影機材を抱えて訓練をする感じが、
ピッタリする表現だとも思うが、実際撮影する段階になると、
構図を決めるというより、レンズに入って来た被写体をただ、
撮影するだけになってしまっているようにも感じる。

なぜ、そのように雑な方法でシャッターを押してしまうのか?
また同じ被写体を露出を変えて連写するAEB撮影をしている。

一回の6日間の旅で5000ショットほどシャッターを押している。
シャッターを押す事に心地よさを求めているのはいいのだが、
旅行から帰ってからが大変である。本来ならば撮影した写真の、
データを整理すると言う事も楽しみの一つではあるが、
旅の疲れと、その後の仕事の疲れも相まって、やる気を失せる。

結局、データはパソコンと外付けハードディスクの肥やしになり、
いつの間にか写真の事を忘れてしまい、次の旅行に行く・・。
そのうちに、写真データを失ってしまう事も・・。つづく

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「注意せよと言われても」

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各旅行先で撮影したデータは、カメラよりパソコンへ入力。
マイドキュメントのピクチャだけでは、万が一データ削除に、
なりかめないので、外付けハードディスクへも同じデータを、
保存し不意の事故に備えているが、誰でも行う事であろう。

だが私の場合、何度となくパソコンの故障によりデータを消失。
外付けハードディスクを導入する以前は、CD-Rのディスクに、
データを保存していたが、この場合、画像データを縮小させ、
保存しないと、直ぐにディスクがいっぱいになってしまう。

時代も移り変わり便利になって、外付けハードディスクが出来た。
だが、今のような500GBのHDに大きなデータを大量に保存する事は、
出来ず、20GBか40GBの外付けハードディスクに保存していた。

ハードディスクには、日本のメーカーのロゴが書かれているものの、
買ってきた中国人から、外側だけ日本の文字を入れ、中身は、
日本かどうか分からないので、注意をして下さいと言われた。

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注意せよと言われても、どう注意すれば良いのか分からない。
一体何に注意をすればよいのだとも思ったが、古いデータから、
CDに入っているデータなど全てを移し替える作業を終えた。

ハードディスクは合皮で出来たカバーが付属しており、中に入れ、
事務所内で、中国人に見せていたが、返してもらった時、開け口が、
閉まっておらず、中身がスローモーションを見ているかのように、
コツン!と音を立て、外付けHDDが合皮のカバーから抜け落ちた。

慌てて拾い、パソコンに繋いでみたが、デバイスが見つからないと、
エラー表示が出て、どのパソコンで試しても結果は同じだった。

つまり、長い時間を掛けデータ保存したが、一瞬にしてデータが、
取り出せなくなってしまった。これが、注意をして下さいの意味か、
などと、情けない思いで、また同じHDDを中国人に頼んだ。
中国人からは、だから注意して下さいって言ったのに・・。つづく

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「悪い事は重なるもの」

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2008年に入ってから、外付けハードディスクの容量が増え、
価格も驚くほど安くなっていた。中国では、まだまだ、
光学系は高かった。80GBのハードディスクが日本では、
5000円前後で買えるようになっていたが、中国では、
600元(9000円)と高価で、一般の中国人は買えなかった。

私が初めに買ったハードディスクは、不注意により、
ハードディスクのカバーから中身を落下させてしまい、
壊れてしまったが、データを残しておく事は大切であるが、
時には、保存してあったデータ全てを失う事もある。

だからこそ何重にも、データ保存をしておく事が重要だが、
人は事故に遭った時には、気を付けていても、ある程度、
時が過ぎると、事故に遭った時の教訓を忘れ去ってしまう。

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今では、ハードディスクが壊れデータが取り出せなくとも、
ハードディスクケースを買ってきて、ハードディスクを分解し、
ディスク自体をケースの中に入れて、データ取り出し方法も、
知っているが、当時は異国であり思いもつかない事であった。

悪い時には悪い事が重なるもので、古いパソコンのデータを、
中国人に買って来てもらったハードディスクに入れたものの、
新しく入れ直す段階では、パソコン本体が動かなくなっている。
新しいパソコンが動いても、動かない方にデータはあった。

日本のように車で7分ほど走れば、家電ショップがあるような、
環境ではなく、近くにスーパーはあっても、町の近くにある、
ショップでは、パソコンは売っていても、修理が出来るような、
店ではないので、結局、都市部へ行かなければなかった。

だから、昔の旅行写真をアップしようとしてもデータがなく、
また大量の写真データを保存していたyahooのID誤削除により、
写真も消滅し、アップなどできない状態である。つづく

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「保存データはゴミと化した」

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先日来より、既に壊れて7カ月以上経つ外付けHDDが、
何とか立ち上がり、中のデータが取り出せないものか、
長男に頼んであったが、電話にて自分のパソコンまでが、
壊れそうになってしまって、一般の復元ソフトでは、
手も足も出ないから中のデータは諦めた方が良いと言われ、
私はその時、魔がさしたのかゴミ箱へ捨てておいてくれと、
電話を切ったものの、翌夕、やはり捨てないで残しておいて、
欲しいと電話連絡をすると驚いたような様子で電話を切った。

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なぜ驚いたのかを1時間ほど後から連絡が入り、親父から、
HDDをゴミ箱へ捨てておいてくれと言われたので、そのまま、
すぐにゴミ箱へ捨てたが、その翌日がゴミ回収日で夜の間に、
妻が全てのゴミをまとめて、翌朝捨ててしまい、親父から、
連絡が入った時に、ひょっとしたらゴミ収集車が来てなく、
ゴミ収集場所に置いてないか確認しに行ったという内容。

この10年ほどの主なる写真データを保存していたが本当に、
ゴミと化してしまった。息子に罪があるわけでもなく、問題ないと、
電話を切ったものの、何ともやるせない気分であった。つづく

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